正しく学び、正しく理解し、相手の立場に立って判断し、行動しましょう


 皆さんおはようございます。ただいまご紹介いただきました中川でございます。
 支部長さんが講演の冒頭、丸岡さんの「ふるさと」という詩を朗々と歌い上げられました。支部長の熱い思いにふれ、感動しています。
 本日は皆様と一緒に人権問題について考える機会をいただきました。人権について日頃思っていることを精一杯お話ししようと思います。どうぞ、よろしくお願いします。
 熊本地震から3年が経過しました。被災からの復旧、復興が進められていますがまだまだ震災前の状況に立ち返るには時間が必要です。あの未曾有の地震ではたくさんのものを失いました。反面得たものもたくさんありました。人と人とのつながりの大切さ、何が真実かを判断する力の必要性等々私はたくさんのことを学びました。そのいくつかをご紹介します。
 前震があった夜、近所の方が家を飛び出して,地区の空き地に避難し、ビニルシートを敷いて一夜を明かそうとしたところ,液状化現象が起き,下から水が湧き出てビニルシートが水浸しになったそうです。高齢の方が2組おられたそうです。この方たちをここには寝かせておけないと,みんなで近くの公園に避難しました。公園には夜露を避けるようなものはなく、一夜を過ごすことができません。大きなワゴン車を持っている人が「この車の中で,一夜を過ごしてください」と避難所として車を提供したそうです。お互いの助け合いによって,高齢の方たちはその晩を過ごされたということでした。
 各地の避難所では、「お年寄りや身体が不自由な人をみんなで支えましょう。」を合い言葉に「共助」、「互助」の精神でみんなで力を合わせて生活されました。その例として、「みんなが安心して過ごせるようルールを作りましょう。」とか、「男性は外のトイレを、子供と女性は室内トイレを使いましょう。」などがあります。現在は、ほとんどが水洗トイレです。断水で水が出ません。このことで、阪神淡路大震災の時は、トイレの衛生状態が非常に悪化したと聞いています。トイレに行くときは、バケツで水を持って行かねばなりません。トイレへ行くたびに水を汲むのでは、なかなかトイレに行けません。ですから、トイレの近くには、プールから水を汲んできたバケツが並べてありました。水汲みもみんなが力を合わせていました。これらは、「相手を思いやる心」、「気遣い」、「つながり感」、地域の人同士の「絆」の表れです。 
 益城町の広安小学校体育館で避難生活をしていた放課後子供教室指導員から聞いた話です。
「家は全壊で、広安小学校に避難していたもののこれからの生活を思うと不安で不安で仕方ありませんでした。そんなとき、『そろばんの先生、大丈夫でしたか』と子供教室で学んでいる子供から声をかけられました。この一声で前を向いて生きていこうとの気持ちが沸きました。」子供たちと指導者がつながっていることを実感しました。
 地震後、流言飛語が飛び交いました。一番酷かったのは、「動物園のライオンが逃げた」というデマをSNSで流し,地震の恐怖に加え、猛獣が逃げたという恐怖に陥れたことでした。このデマを発信した人は,偽計業務妨害の疑いで逮捕されました。デマを書き込んだとして逮捕されたのは全国で初めてだったそうです。デマというのは東日本大震災の時にもいっぱいありました。それが風評被害となって,今でも続いています。
 支部長さんは、部落差別について何の根拠もないことを人から人へと語り継がれてきたことを口承説話とおっしゃいました。流言飛語がまさに口承説話だと思います。人権問題,同和問題も流言飛語から生じた面があると思います。まちがった情報が流れ、いつの間にかそれが真実であるかのような思い違いをした結果が、人権問題が生じた要因の一つでもあるように思います。
 私はこの熊本地震から大切なことを学びました。
 1つは、自助、共助の精神を日頃からもっていることが、いざという時に役立つこと。自分の人権と共に他の人の人権を大切にしながら皆で助け合っていこうという自助、共助の精神こそが人権尊重社会のもとになっていること。
 2つは、デマに惑わされることなく、何が真実かをきちっと自分で判断・行動できる力を日頃から身につけておくことです。
 本日は人権問題研修会です。その人権には、様々な課題があります。皆さん既にご存じのように、同和問題をはじめ、女性差別、子どもに対するいじめや虐待、高齢者や障がい者、水俣病被害者、ハンセン病回復者、外国人などに対する偏見や差別等様々な人権課題が存在しています。
 これらの人権課題の中で本日は、子供の人権、同和問題、水俣病問題、ハンセン病問題について考えてみたいと思います。
 子どもの人権については、児童虐待、いじめ、不登校等たくさんの課題があります。将来の日本を背負って立つ子どもたちを家庭・学校・地域社会で子どもを守り、育てることは喫緊の課題です。
 この中で、いじめ問題についてお話しします。いじめによるだろうと思われる若者の自死が後を絶ちません。子供たちに、今こそ、「命のぬくもりを伝えましょう!」
 いじめとは、子供に対して、一定の人間関係にある子供が行う心理的又は物理的な影響を与える行為で、その行為の対象となった子供が心身の苦痛を感じていることです。
 私がある学校に勤務している時起きた、いじめ問題についてお話しします。
 学校まで5kmほどある地域の登校班で、1学期の終わり頃、いじめ問題が起きました。1年生から5年生までが一緒に登校するのです。身長差がありますので歩幅も違います。高学年から見ると、1年生はのろのろ歩いているように見えることもあったのでしょう。つい、「急げ!」と言いながらランドセルを押したり、ランドセルの肩紐を引っ張ったりしているうちに、だんだんエスカレートして、いじめへと発展していったのです。おじいさんは大変心を痛められ、何度も学校にお出でました。そのたびに学校で指導していることを丁寧に話しました。1年生の孫が勉強している教室にも案内しました。おじいさんは孫が勉強している姿を見て、安心して帰っておられました。地区でもこのいじめが問題となりました。区長さんとも解決方法を相談しました。2学期の終業式の夜、地区公民館で、区長、公民館関係者、民生児童委員、保護者、教職員で話し合いを持ちました。話し合いの終わりに、高学年の保護者がおじいさんに謝ろうとしました。そのときです。
 おじいさんは、「なんばしよっと!謝らんちゃよか!こんいじめ問題は誰が悪かつでもなか。わしの孫に『いじめないで!』といじめをはね返す力がなかったこと。高学年の子に『弱い者をいじめることは愚かなことだ』ということに気づく力がなかったこと。周りの子に『いじめは止めよう』といじめを止めさせる力がなかったこと。この3つの力がなかったけん、いじめが起きた。わしやわしの孫のように辛い思い、きつい思い、哀しい思いをする者がこの地区から出らんごつ皆で子供たちを見守り、育てていこうじゃなかな!」とおっしゃいました。
 私は、この3つの力は人権教育を通して子供たちに付けさせる力だと全職員に説きました。この3つの力はいじめ問題ばかりでなく、人権問題解決の本質だと思っています。
(2)同和問題
 同和問題とは、部落差別に関わる問題です。居住地や出身地を理由に差別され、特に職業選択の自由、結婚の自由などの基本的人権が、完全に保障されていないという重大な問題です。

 「本当に大切なことを見失わないで!」の4コママンガを示しています。


 このマンガに同和問題の本質が表現されていると思います。それは、「生まれたところはどこか」
いう出身地を問題にすること、そして自分の考えではなく「世間体」を気にすることです。
 皆さんごぞんじのことですが。同対審答申では同和問題を次のように定義しています。


 いわゆる同和問題とは、日本社会の歴史的発展の過程においてで形成された身分階層構造に基づく差別により、日本国民の一部の集団が経済的・社会的・文化的に低位の状態におかれ、現代社会においても、なおいちじるしく基本的人権を侵害され、とくに、近代社会の原理として何人にも保障されている市民的権利と自由を完全に保障されていないという、もっとも深刻にして重大な社会問題である。


 他の人権問題と違って同和問題の特徴の1つは、目で見ての差別ではなく、耳で聞いての差別であることです。このことは支部長さんのお話のとおりです。2つは、出身地や、居住地による差別であることです。これは、4コママンガにあるとおりです。3つは、職業等に関する予断と偏見による差別であることです。そしてもっとも深刻な問題は、一代で終わらず、永代にわたる差別であることです。部落差別は封建時代の支配体制の確立の過程で生じたと言われています。300年以上経過しています。この間、部落差別解消のため施策が行われてきましたが、今なお部落問題が解消していなことからも言えると思います。
 同和問題に関しての差別には、
 ・結婚の際に出身地等を理由に差別されること。
 ・就職に際して不適切な質問をされ、採用選考で差別されること。
 ・不動産売買等における「土地差別」。
 ・インターネット等での差別表現や差別情報が流されること。
などがあります。
 結婚問題について、県民の意識調査があります。
○結婚問題に関する県民の意識     


 ◎子供が同和地区の人と結婚するときどうしますか
  ・子供の意思を尊重する・・・・・・・・・・・・・・・・・・・64.9%
  ・親として反対するが子供の意志が強ければ仕方がない・・・・・29.7%
  ・家族や親戚の反対があれば、結婚を認めない・・・・・・・・・・3.4%
  ・絶対に結婚を認めない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2%
 ◎同和地区の人と結婚するとき周囲の反対があればどうしますか
  ・自分の意志を貫いて結婚する。・・・・・・・・・・・・・・・・27.6%
  ・親の説得に全力を傾けたのち、自分の意志を貫いて結婚する・・ 54.3%
  ・家族や親戚の反対があれば結婚しない・・・・・・・・・・・・ 15.1%
  ・絶対に結婚しない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2.9%

 「かりに、あなたのお子さんの結婚しようとする相手が、同和地区(歴史的社会的理由により生活環境等の安定向上が阻害されている地域をいう。以下同じ。)と呼ばれる地域の人であるとわかった場合、どうしますか。」の問に対して、「子どもの意志を尊重する。親が口だしすべきことではない」と回答した人が約約65%いるのは、これまでの人権同和教育の成果だと思います。「親としては反対するが、子どもの意志が強ければ認める」と回答した人が約30%です。この回答者が「子どもの意思を尊重する」へと変容して欲しいと願います。課題は、「家族や親戚の反対があれば、結婚を認めない」「絶対に結婚を認めない」と回答した人を合わせると、5.4%、約6%の人が結婚を認めないと回答していることです。
 また、「かりに、あなたが、同和地区の人と恋愛し、結婚しようとしたとき、親や親戚から強い反対を受けたら、どうしますか。」の問に対して、「自分の意志を貫いて結婚するが約28%、「親を説得して、自分の意志で結婚する」と答えた人が約55%です。、約83%の人が「自分の意志を貫いて結婚する」と回答しています。これも人権同和教育の成果だと思います。しかし、「反対があれば結婚しない」が約18%というのは人権同和教育の課題です。
 あらゆる学校で、あらゆる地域で、人権同和問題について教育・啓発が行われています。しかし、結婚しようと思っている当人達の約2割が同和問題に対する誤った理解をしているということ、このことを私たちは厳粛に受け止めねばならないと思います。
 今学校では、人権教育指導法の在り方第3次とりまとめにしめしてある人権教育を進めておられます。このとりまとめでは、人権教育を通じて育てたい資質・能力を「自分の人権を守り、他の人の人権を守るための実践行動」として、「この行動力は人権に関する知的理解と人権感覚とが結合するときに生じる」としています。人権感覚を身につける人権教育の在り方を研究すべきだと思います。このことは後でもう少し触れます。
 同和問題解決のためには、
 ・同和問題に関しての正しい理解
 ・人権尊重の精神にたった学校(園)・学級づくり
 これが必要だと思います。
 このことを平成28年に成立した「部落差別の解消の推進に関する法律」で次のようにうたっています。


(目的)第一条
 この法律は、現在もなお部落差別が存在するとともに、情報化の進展に伴って部落差別に関する状況の変化が生じていることを踏まえ、全ての国民に基本的人権の享有を保障する日本国憲法の理念にのっとり、部落差別は許されないものであるとの認識の下にこれを解消することが重要な課題であることに鑑み、部落差別の解消に関し、基本理念を定め、並びに国及び地方公共団体の責務を明らかにするとともに、相談体制の充実等について定めることにより、部落差別の解消を推進し、もって部落差別のない社会を実現することを目的とする。



 先ほども申しましたが、人権教育指導方法等の在り方について第3次とりまとめでは、人権感覚の育成を強く求めています。それは、人権学習の後で、学習したことを遊びに使うなどの差別事件が数多くあったでしょう。知的理解を心で受け止める人権感覚がなければ人権を尊重し、守る行動には結びつかないことを物語っています。
 人権感覚について、桑原律さんは次のように言っています。


           「人権感覚」って何ですか
                           桑原 律

      「人権感覚」って何ですか  それは ケガをして  苦しんでいる人があれば
      そのまますどおりしないで 「だいじょうぶですか」と  助け励ます心のこと

      「人権感覚」って何ですか  それは 悲しみに  うち沈んでいる人があれば
      見て見ぬふりをしないで 「いっしょに考えましょう」と  共に語らう心のこと

      「人権感覚」って何ですか  それは 偏見と差別に  思い悩んでいる人があれば
      わが事のように感じて  「そんなことは許せない」と  自ら進んで行動すること

      「人権感覚」って何ですか  それは すどおりしない心   見て見ぬふりをしない心 
      他者の苦悩をわが苦悩として人権尊重のために行動する心のこと

                                      (ヒューマンシンフォニー 光は風の中に)より



 私は、人権感覚を身につけるには心を揺り動かす体験、私はこれを情動体験と読んでいますが、この情動体験を数多くさせることが必要だと思っています。
 ここ八代市では、花火大会がありますね。夏祭りでは、花火大会がよくあります。その花火大会で見た2組の親子の話です。まず1組目の親子は、花火が上がるたびに親子で「うわー音の大きか!」「うわーきれいか!」と手を取り合って感動しています。別の場所での親子は、娘さんが「うわーきれいか!」「うわー 音の大きか!」と言うと、お母さんが「せからしか 黙って見とききらんとね」と娘さんをたしなめています。どちらの親子が花火に感動し、心を揺り動かされたでしょうか。中学校や高校の体育祭等では、応援団が皆を統率して応援合戦をするでしょう。応援合戦が終わった後で、団員はじめ生徒たちがやりきった満足感等で涙を流す光景がよくあるでしょう。心を揺り動かされたからこそ涙が出てくると思います。
 このような体験を数多く子どもたちに味わわせ、感性を育ててほしいと思います。この豊かな感性が人権感覚を育みます。
 次に水俣病について考えてみたいと思います。
 水俣病とは工場排水のメチル水銀によって汚染された魚介類を、長い間たくさん食べたことが原因となって発生した中毒症のことです。伝染病・遺伝病・風土病等ではありません。主な症状として、両手足の感覚障害や視覚・聴覚障がい、運動失調等があります。
 この水俣病が原因で、伝染すると誤解され、患者や家族は地域のつきあいを断られたり、水俣出身というだけで、結婚や就職上差別されることがありました。今なお、被害者や地域に対する差別や偏見が解消されていないのです。また、妊娠している母親の胎内に入ったメチル水銀が、胎盤を通して胎児へ取り込まれることにより発症した胎児性水俣病も発生しています。
 皆さんは石牟礼美智子さんの「苦海浄土」という本を読まれたことと思います。石牟礼さんは水俣病患者をずっと支援してこられた方です。この「苦海浄土」はそのことを題材として書かれたものです。その一説に胎児性水俣病患者のいるおじいさんの話があります。


 杢は、こやつぁ、ものをいいきらんばってん、ひと一倍、魂の深か子でござす。耳だけが助かってほげとります。何でもききわけますと。ききわけはでくるが、自分が語るちゅうこたできまっせん。生活保護いただくちゅうても、足らん分はやっぱり沖に出らにゃならん。わしもこれの父も半人前もなかもん同士舟仕立てて、いいふくめて出る。杢のやつに、留守番させときます。すると時間のたつうちにゃ、ぐっしょり、しかぶっとりますわい。しかぶっとるか、しとらんか、顔みりゃすぐわかる。じゅつなか顔しとります。気の毒しゃして。気いつこうて。肉親にでも気いつかうとですけん。冬でのうてもぐっしょり濡れて、寒さに青うなっとる。
 このじじばばが死ねば誰がしてくるるか。親兄弟にでも、人間尻替えて貰うとは赤子のときか、死ぬときか。兄貴も弟も、やがては嫁御を持たにゃならん。そんときこれが、邪魔になりゃせんじゃろか。そんときまで、どげん生きとれちゅうても、わしどま生きられん。
 ほら、わしがこの目、このように濁っとります。もう大分かすみのかけて見えまっせんと。この目ば一生懸命ひっぱってあけて、この前のごつお迎えのバスの来れば、ああいう風に、病院にも、背負うて連れて行きます。からえば、腰の曲がってちぢんどるわしよりか杢の方が、やせてはおるが足の長うなって、ぞろびくごてござすとばい、もう数え年は十でござすけん。
 わしも長か命じゃござっせん。長か命じゃなかが、わが命惜しむわけじゃなかが、杢がためにゃ生きとろうござす。いんね、でくればあねさん、罰かぶった話じゃあるが、じじばばより先に、杢の方に、はようお迎えの来てくれらしたほうが、ありがたかとでございます。寿命ちゅうもんは、はじめから持ってうまれるそうげなばってん、この子ば葬ってから、ひとつの穴にわしどもが後から入って、抱いてやろうごたるとばい。そげんじゃろうがな、あねさん。


 水俣病がどれだけ人々を苦しめているかがわかります。 
 私たちがおなじ過ちを繰り返さないためにハンセン病回復者等の人権について考えてみたいと思います。
 ハンセン病とは、感染力が極めて弱い細菌による感染症です。現在、日本での感染・発症は実質的にゼロといえます。すぐれた治療薬により、障がいを残すことなく外来治療で完治します。後遺症として外見的な変形が残る場合があるため、いつまでも病気のままだと思われがちですが、完治後に感染することはありません。しかし、過去ハンセン病について啓発はほとんどなく隔離政策をしてきたために、」ハンセン病についての謝った理解があり、ハンセン病に対する偏見や差別事件が起きました。熊本県では、過去、小学校入学拒否事件やホテル宿泊拒否事件がありました。
 一つは、昭和29年、熊本市の黒髪小学校で起きた、ハンセン病患者を親に持つ子どもの入学を拒否する事件です。ハンセン病患者を親に持つ子と我が子が一緒に机を並べて勉強するなら我が子がハンセン病に感染する、このようなことは決してさせてはならないという親の間違った理解から起きた事件です。プロミンという治療薬があること、きわめて感染力は弱いこと、当時の栄養状態では感染することはないこと、濃密な触れあいがなければ感染しないことなどを正しく啓発しておれば起きなかった事件です。
もう一つは、平成15年、黒川温泉郷のあるホテルがハンセン病元患者の宿泊を拒否するという事件です。この宿泊拒否事件は、ハンセン病についての教育・啓発を行っている中で起きた差別事件です。これは入学拒否事件とは大きく違います。90年にも及ぶ誤った施策によって人々の心に植え付けられた偏見や差別はまだまだ根強く残っています。私たちの心の中には、差別心があると思います。私の心の中にも差別心があります。その差別心を一つでも取り除く活動としてこのように話をさせていただいています。「自分はこれまで人権研修を何回も受けてきた。もうよか」ではなく、いろんな機会に人権問題について考えることが大切であること、さらなる教育・啓発が必要であることを私たちに教えてくれました。
 学校でも社会でも教育啓発活動が行われていますが、なぜ差別や偏見はなくならないのでしょうか。
 突然ですが、レジュメのあいているところに魚の絵を描いていただけませんか。
 先生、先生が描かれた魚の絵を黒板に描いていただけませんか。(一人の方に魚の絵を描いてもらう)
 すばらしい絵をありがとうございました。皆さんにお聞きします。先生の絵のように、左向きの魚の絵を描かれた方挙手していただきませんか。(大多数が挙手)
 では、反対に右向きの魚の絵を描かれた方挙手いただきますか。(4名挙手)
 ほとんどの方が左向きの魚を描かれました。どこの研修会でも,本日と同じように左向きの魚を描かれる方が大多数です。どうして,このように左向きの魚を描くのでしょうか?
 私が,板前さんが多い研修会で話をした時,50人全員が左向きの魚の絵を描かれました。それで,私がどうして左向きに書かれましたかと尋ねたら,「あなたは何を言っているのか。昔から魚は左向きにすると決まっている」と,言われました。料理で出すお頭付きの魚はみな左向きでしょう。
 5月5日の鯉幟の絵を思い出してみてください。あの鯉幟の絵もほとんど左向きでしょ。家庭や図書館にある魚の図鑑を見てください。魚の図鑑にある絵や写真の8割から9割は,左向きです。私たちはこのようにいつも左向きの魚に接しています。このことによって、空気を吸うがごとく自然に,「魚は左向き」が頭に刷り込まれているのです。「○○は○○」というように思い込むことを刷り込みと言いますね。このようにして刷り込まれた固定観念が絵に表れるのです。4人の方が右向きの魚を描いていらっしゃいます。素晴らしいと思います。自分のお考えで,右向きの魚を描いておられますから。
 皆さんにもう少しお聞きします。「牛」の色を思い出してください。牛の色を3つ言います。「あか牛」,「黒牛」,「白黒のホルスタイン」。
 「あか牛」を思い出す人は?「黒牛」?「白黒のホルスタイン」?
 「あか牛」と「白黒のホルスタイン」が多くて、「黒牛」の方が数名でした。阿蘇地方で,牛の色は何色が思い浮かびますか?と聞きますと,ほとんどの人が「赤牛」です。また,天草で聞きますと殆どの人が「黒牛」です。阿蘇の牧野に放牧されている牛はほとんどがあか牛です。天草地方では、以前農耕用に黒牛を飼っていたのです。熊本市周辺では「あか牛」,「黒牛」,「白黒のホルスタイン」がそれぞれ3分の1くらいです。この牛の色も小さい頃からいつも見ていた牛が,自然と自分の頭の中にインプットされ、「牛の色は○○」と刷り込まれているのです。
 私たちの意識の中に、知らず知らずのうちに刷り込まれていることがあります。「偏見」とは、合理的な根拠なしに特定の個人や集団、その他の事柄に対して抱く非好意的な態度や考え方です。誤解や無知は、偏見を生み、差別を助長します。それを乗り越える力が、私たち一人ひとりにあります。様々な人権課題に関心を持ち、正しく学び、正しく理解を深め、相手の立場に立って判断し、行動しましょう。
 そこに示していますのは、私が思う差別心が生まれる構造です。


刷り込みが決めつけや思いこみとなります。思いこみにマイナスイメージが加わると偏見が生まれます。

無知 あることに知らない状態であるところに間違った情報が流れてくると、理解違いが生じます。理解違いにマイナスイメージが加わると偏見が生まれます。

この偏見が、差別心や差別的言動をを生むのです。

   

      
 論語に、次のような文があります。



   論語 衛靈公第十五 412

         子貢問うて曰く、一言にして以て身を終うるまで之を行うべき者有りや。

         子曰わく、其れ恕か。己の欲せざる所は、人に施すこと勿れ。


 私は論語を深く読んでいるわけではないのですが、衛霊公第十五412の文です。
 子貢とは、孔子の門弟の一人です。その子貢が孔子に尋ねました。
「先生からお教えいただく一語を心にとめて生きていけば、生涯、人としての道を過たずに生きていけるという言葉がありましょうか。」
 孔子が答えました。
「その言葉は恕だ。そして自分の望まないことは人にしないことだ。」と。
 「恕」とは、「相手の身になって思い・語り・行動することができるようになること」と訳してあります。
 恕の心を持つ子どもたちを育てていただくことを祈念して話を終わります。
 ご静聴ありがとうございました。


八代市校長等人権研修感想



○大変わかりやすい話であった。学んだことをそのまま生かすことができるという意味で教師向けであるといえる。資料も役立つと思われる。

○教師の視点、社会教育の視点で話をされたことはとてもわかりやすく参考になった。

○熊本地震の避難所での体験から、実際に校長時代のいじめ問題のおじいさんの3つの力、感性・情動体験などの情操教育の大切さ等、様々な視点からの講話で今後に役立てたい。

○人の思いこみから生まれる差別のおかしさを改めて感じた。

○情動体験の重要性を痛感した。今後の学校教育の中で改めて大切にしていきたい。

○丁寧に熱っぽく語っていただきました。

○心を動かされる話ばかりで、児童や先生たちに伝えたい内容がたくさんありました。子どもの「感性」ということに日々向かい合っていますので納得できる話でした。

○差別解消に向けて「人権感覚」を大切にすることの大切さを学んだ。自分事としてとらえる感性は学校・家庭・地域で情動体験を通して育つことを忘れないようにしたい。

○知っていても人権感覚がなければ行動につながらない。子どもたちに豊かな感性を育てるため、たくさんの情動体験をさせていきたい。

○人間の差別の本質について学ぶことができた。

○本県の人権問題の大きな課題である「同和問題」「水俣病問題」「ハンセン病問題」について1時間と限られた時間内にわかりやすく話していただき、感謝しています。

○小さい頃から見てきたものがインプットされてきめこみをしていないかという言葉を日頃から意識していきたい。

○これからを生きていく子どもたちに必要な力が、物事を正しく知り、理解し、判断し、そして行動する力だと再認識できた。

○とても優しい語りの中で心に響く話がたくさんありました。

○講話1から通して、今日は「口承説話」が何回も出てきた。

○正しいことを見て理解することの大切さを改めて感じた。

○自分事としてとらえることができる感性を磨くため、情動体験を数多く重ねることが大切だと思いました。

○わかりやすく活用にも本当に役立つ内容でした。

○今までも学んできているが、「気づき、考え、行動すること」がいかに大切であるかを再認識することができました。

○経験されたいじめの話、とても心に残りました。ありがとうございました。

○いじめをなくす3つの力は、自分の学校でも大切にしていきたいと思いました。とてもわかりやすい内容でした。

○多角的な方面からの人権教育へのアプローチを教えていただきました。常に人権教育と生活が結びついていることも改めて感じさせていただきました。

○人権感覚を育てるためには感性を育てること、そのために情動体験を子どもたちに重ねること重要なことがよくわかり、印象に残りました。

○口承説話の不合理さと怖さを感じました。

○「感性豊かに」という言葉をよく口にし耳にするが、「人権感覚」と「感性」そして「情動体験」との関係性についてお話を聞き、大いに納得させられた。

○「いじめをはね返す力」「気づく力」「止めさせる力」、いじめの被害者の祖父の言葉と同様な言葉を投げかけられた経験が本校でもあった。とてもありがたい言葉であったが、改めてその言葉を職員にも投げかけ、人権教育の柱にしていきたい。

○過去もそうであったが、現在においても正しく学び正しく理解することが、いかに大切であるかを強く感じた。

○人権教育を推進していくことで、人と人の絆が深まること、災害時に思いやりのある行動が自然にとれることを熊本地震での実例を挙げていただいてその大切さがよくわかった。

○人権教育の充実と継続は、私たちの大切な責務だと再認識した。感性の高まりを目指すことにも尽力していきたい。

○主に3つの問題を中心に人権教育の課題についての講話からいろいろなことを学ぶことができた。人権感覚のもととなるものが感性であり、感性を培うために情動体験が大切という話がとても印象に残り、教育活動においてそのことを踏まえた取組が必要であると感じた。

○感性を培うことはとても難しいと思いますが、避けては通れない課題だと思います。

○今後も全職員で教育的愛情と人権感覚を育てていきたいと思います。人権感覚には様々な心や行動があり、また、子どもたちへは情動体験を積み重ねさせたいと思います。

○人権感覚を高めるためには感性を育てないといけない。感性を育てるためには情動体験を多く、それも多くの人と同時に味わわせることが大切とあった。学校でもそのことを意識して取り組んでいきたい。

○「魚の形」「牛の色」の話がまさに心の中にストンと落ちました。自分自身固定観念があることに気づかされ、正しく学び、正しく理解していかなければいけないと思いました。

○「人権教育を通じて育てたい資質・能力」の中に人権感覚を育てることが大切とあり、その中で情動体験の」必要性の話があった。情動体験が「感性」の基となり、それが人権感覚となっていく。常に意識して人権感覚を磨いていきたい。

○魚を左向きに描きました。すり込み(決めつけ・思いこみ)を痛感しました。

○心にゆとりがなくなると自分本位になってしまう私がいます。子どもたちに言動を姿として何を見せていくのか。自分の姿をしっかり意識して人権感覚の高い意識をもてるよう自分自身学びを深めていこうと思います。